INSIGHT · 品質の話
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なぜ、リアルに見えるCGと、そうでないCGがあるのか
同じ建築CGでも、「本物のよう」に見えるものと、どこか「絵」に見えるものがある。その差を分けるのは、解像度やスペックではなく、光の自然さと、色の正確さ。そして、それを支える環境への姿勢である。

同じ建築CGでも、不思議なことがある。ひと目で「本物の写真のようだ」と感じるものと、よく描けているのにどこか「絵」に見えてしまうもの。その差は、いったいどこから生まれるのだろうか。
多くの場合、答えは解像度の高さでも、レンダリングのスペックでもない。鍵を握っているのは、もっと根本的な二つの要素——光の自然さと、色の正確さである。
「リアルさ」は、光の自然さから生まれる
私たちが現実の空間を「本物」だと感じるとき、その感覚の大部分は光がつくっている。朝の柔らかい斜光、昼の硬い影、夕暮れの暖かい回り込み。光の角度、強さ、回り方には、無意識のうちに身につけた「自然な見え方」の基準がある。
CGがどこか不自然に見えるとき、その多くは光のどこかが、この基準から外れている。太陽の位置と影の方向が噛み合っていない。光が強すぎる、あるいは均一すぎる。間接光の回り方に、現実の空間がもつ繊細さが欠けている——。一つひとつは小さなズレでも、積み重なると「なんとなく、絵に見える」という印象を生む。
逆に言えば、光を自然に扱えたとき、CGは一気に「本物」に近づく。これは公式や数値で割り切れるものではなく、現実の光をどれだけ観察し、記憶してきたかという、審美と経験の領域に属している。
見落とされがちな、「色の正確さ」
もう一つ、リアルさを大きく左右しながら、しばしば見過ごされる要素がある。色の正確さ——とりわけ、自然なホワイトバランスである。
人の目は、色のわずかな偏りに敏感だ。全体がほんの少し青に転んでいたり、黄に寄っていたりするだけで、その空間は「どこか不自然」に感じられる。木の温もり、石の落ち着き、金属の冷たさ——素材がもつ本来の色が正確に再現されてはじめて、空間は説得力をもつ。
ところが、この「色を正確に扱う」ことは、見た目以上に難しい。なぜなら、つくり手が見ている画面そのものが、正しい色を映しているとは限らないからだ。
「正しく見える環境」という、前提条件
ここに、意外と知られていない事実がある。どれほど審美眼があり、丁寧に色を整えても、それを確認している画面や部屋の環境が正確でなければ、仕上がりは保証されない、ということだ。
たとえば、制作者のモニターがわずかに色を偏らせて表示していれば、その偏りを打ち消そうとした補正が、かえって本来の色を崩してしまう。部屋の照明が暖色や寒色に転んでいれば、画面の色を正しく判断することすら難しくなる。
だからこそ私たちは、色を扱う環境そのものに基準を設けている。色再現の正確なプロフェッショナル向けモニターを用い、定期的にキャリブレーション(色の較正)を行う。作業空間の照明にも、画面の色判断を狂わせない、色の偏りの少ないものを選んでいる。
派手ではない、地味な部分だ。けれど、こうした「正しく見える環境」こそが、正確な一枚を支える、目に見えない土台になっている。
スペックでは、埋められないもの
近年、CG制作の現場では、CPUやGPUといった処理性能が注目されがちだ。たしかに、それらは制作のスピードを左右する重要な要素である。
しかし、「速くつくれること」と「本物のように見えること」は、別の話だ。どれほど高性能なマシンを使っても、光の自然さや色の正確さは、機械が自動的に与えてくれるわけではない。そこには、現実を見つめてきた審美と、写真的なものの見方、そして色を正しく扱うための環境への、地道なこだわりが必要になる。
リアルさとは、スペックの先にある領域の話なのだ。
写真に近づくということ
私たちが目指しているのは、ただ精細な絵ではなく、「写真のように、自然に感じられる一枚」である。
そのために大切にしているのは、現実の光をよく観察し、色を正確に捉え、それを判断できる環境を整えること。派手な手法ではなく、こうした基本への誠実さが、最終的な「本物らしさ」を決めていく。
一枚が自然であること。それは、見る人が説明なしに空間を信じられるということであり、設計の良さが、まっすぐに伝わるということでもある。
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